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トニー滝谷について
同世代としての共感から、村上春樹氏の小説はデビュー以来ずっと注目し、読み続けてきました。彼の文学から感じられる、乾いた「喪失感」や「孤独感」は、60年代後半の、熱い祭りのような社会全体の興奮と、その確実な終わりを体験した、我々の世代に特徴的な感受性によるものだと思います。



村上春樹氏が今から10年以上も前に発表した短編「トニー滝谷」にも、自分自身ではどうすることもできない、遺伝子のような「孤独」が、少し寓話的に描かれています。
テンポの良い、年代記風な語り口に魅力のある小説でした。
しかし、映画化に際して、はじめて気が付き、そして一番難しく感じたのは、村上春樹氏の小説に登場する人物達から「表情」というものが読み取れない点でした。極端に言うと、「顔」のない物語のように感じました。
私はこれまでにいろいろな作家の原作で映画を作ってきましたが、そのような感覚におそわれたのは初めてでした。
そしてそれを発端に、次第にこの映画のあらゆる映像が、現実の具体的な場所や物では描けないというイメージを抱きはじめ、いままでの自分の映画のようにリアルな世界で描くと、この小説に流れている透明感や、温度の低さを表現できないし、村上春樹ファンを裏切ることになる、と思い始めました。
そして結果として、この映画「トニー滝谷」は、これまでの自分の映画に全く似ていないどころか、なにか見たことないような、不思議な感触の映画になったような気がしています。



エドワード・ホッパーの絵画のような空白の多い画面になぜか惹かれ、小劇場のようなシンプルな舞台を高台の空き地に建てて、その舞台の微妙なアングル替えと、簡単な飾り替えだけで、ほとんど全てのシーンを撮影したことも、主人公の男女二人にそれぞれ二役を演じてもらって登場人物を極力少なくしたことも、プリント手法に脱色処理を施して色調を浅くしたことも、全て村上春樹氏の、硬質でありながらも、現実の地上から何センチか浮いているような小説世界が、いつのまにか私に要請したことだったと、今になって思います。

市川準

 
ストーリー
太平洋戦争の始まる少し前、トニーの父親、滝谷省三郎はちょっとした面倒を起こして、中国に渡った。日中戦争から真珠湾攻撃、そして原爆投下へと至る激動の時代を、彼は上海のナイトクラブで、気楽にトロンボーンを吹いて過ごした。彼がげっそりと痩せこけて帰国したのは、昭和21年の春だった。

彼の名は滝谷省三郎、彼が結婚したその翌年にトニーが生まれた。
そしてトニーが生まれた三日後に母親は死んだ。
あっという間に彼女は死んで、あっという間に焼かれてしまった。

孤独な幼少期をおくり、やがて美大で地に足の着かない“芸術”を学ぶトニー。
目の前にある物体を一寸の狂いもなく、細部に至るまで正確に写生するトニー。

女学生「うまいんだけど、体温が感じられないのよね」

体温? それらはトニーにとってただ未熟で醜く、不正確なだけだった…。


数年後、デザイン会社へと就職し、そして独立しイラストレーターとして自宅のアトリエで仕事をこなすようになトニー。彼の家には様々な出版社の編集部員が出入りしていた。小沼英子も、そんな編集部員のひとりだった。

そして、トニーの人生の孤独な時期は終了し、やがて新たな生活と共に、幸せの中に浸れるようになった。

トニー「…なんというか、服を着るために生まれてきたような人なんだ」
父「それはいい」

しかし一つだけ、トニーには気になることがあった。それは妻が、あまりにも多く
の服を買いすぎることだった…。





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